これは当日たまたま新聞のラジオ欄をみて発見したもので、(こういう情報が事前にわかる手段はなかったですが)で、埼玉のラジオ局なんでうちから(横浜在住)聴くことできないので埼玉に住む友人に頼み込んでテープにとってもらった思い出があります。(ちなみに武内亨氏はあの一世を風靡したアイドルロックバンドチェッカーズのリーダーであります)
内容は、結成のエピソード(ピカソの命名は最後の最後にぽろっとでできたとか)メンバーの好きなものキライなもの(メンバー紹介)で書きましたのでそちらをみてください)アルバムの話(ミーティング好きだそーです)今後のライブの話等々です。掛かった曲は「シネマ90」「月夜にダンス」このころいっぱいシングルだした頃ですね。
残念ながら、東さんはよそのライブツアーに出ているため、欠席でした。
(訂正、東さんはイギリスへ行っていたようです)
印象に残ったのは、
森さんは大雑把・・お休みはビール飲んで散歩してビール飲んでの生活
辻畑さんは、スポーツジムに通っているとき、気がつくと筋肉をつけるのを楽しみにしていた自分がいやになってジムに行かなくなったとか・マッチョな精神がキライだとか・ディナーショウみたいなのはいやとか・東京に出たときにスゴイ人ごみでびっくりしたとか(この感覚は私は当たり前になっていたので、新鮮でした)
アルバムの作り方は、ミーティングでテーマを決めてから曲を作るとか(この絵をテーマにして曲をつくる。とか)アルバムが出来たら今までは各自お休みを取っていたとか、でもこんど(12色のハンマーの頃です)はライブやりたいと思っているとか(だからコレ聴いて私はぴあを必死で読むようになったんです)あとアルバムが出来てから自分達で聴くか?という質問に答えて、
辻畑「さすがにもう何回も聴いてるので(直後は)聴かないですね」
森 「え、僕毎日聴くよ」
辻畑「それはね~楽器だから。自分の声は恥ずかしくて聴けないよ」
なんかお二人の感じがにじみでるぢゃないですか
アルバムの作り方はパーソナリティの武内氏も参考になるらしく、かなり熱心に聞いておりました。
で、辻畑さんがチェッカーズのことを、フルバンドの上に、サックスの上ものや、コーラスが入っていて、それを毎回曲に使うのは大変じゃないかと質問していたのがスルドイなあと思ってしまいました。
確かに、ボーカル・ベース・キーボードの3人をベースにして、曲によって合わせるミュージシャンを替えてバンドサウンドを作るピカソとは対照的ですよね。
もう解散してしまったことから、どちらがよいのか今にしてワカルような・・・・・(若干毒舌)
このラジオのおかげでピカソ基礎知識を得ることができました。
追記 じつはこのあとに無くなっていたテープが見つかりまして・・・^_^;
テープ起こしして全文掲載したいと思います。上の文章と多少(かなり?)違っているのは記憶を頼りに書いた私のミスです。すんませン。
まあかなりの長文(読解)ですが、読んでみてください
追記の追記:
これがココのアーカイブの大本命かな?ピカソメンバーのプロフィールは後々UPシマス。
ほんとに長いので何回かに分けてのUPとなります。